死体ごっこ

 そう、そこに寝て。今日は私でなく、君が。

 几帳面に四隅を直角に折りこんだ、皺ひとつ無い白いシーツの上に、同じ位白いワイシャツの君が、水平に横たわる。

 私は君の角度を直す。もっと、そう、厳密に中心に位置して。ベットの縁と平行になって。納得したら私は布団をかける。出来るだけ君の厚みで膨らまぬよう、やんわりとかける。

 今日は、君は死んでるの。笑わないでよちゃんとやるの。君は死体なの。そう、死体ごっこ。眼を開けちゃ駄目、絶対にね。動いても駄目だよ、一mmでもね。無理じゃないよ、息はしていいんだから。てか動いたらあたし、やめるからね。今日だけじゃなくて、ずっとさせないよ。永遠にだよ。……それなら死んだほうがマシ、だろ? 死んだフリならもっとマシだろ? いいからじっとしててよ。いつもあたしが言うこと聞くんだから、たまにはあたしの言うことを聞いてよ。はい、はじめ。

 何度も親の目を盗み身体を重ねた淫靡な君のお部屋は、今日だけは病院の霊安室。白い壁にはギタリストのポスターがべたべたと貼りつけてあって乱雑だけれど、壁と天井が直角に出合って造る、シャープな直線だけがあれば事足りる、ここは菌なんかいない、潔癖な霊安室になれる。君の口の端からにやけが無くなるのを待ちながら、私は自分の制服の襟を意味無く正す。

 布団から首だけ出ている君の姿を見下ろす。君は私にようやく降伏したのか灰色の無表情を貫いている。長いけれどまっすぐな睫毛を爪で弾いたらぴん、と音がしそうな程、硬質な無表情、そして、マットでソリッドな君の皮膚。血の気やみずみずしさまで、素早くうずもれさせることができる、君の器用な皮膚。……いい感じに死体っぽくなってきた。

 私はベッドの縁に頬杖をつき、たてひざで君を見つめる。無駄な肉の一切無い、骨っぽいとがった顎が、垂直に天井を指している。その切っ先に、人差し指を沿わせたい。そうしても君はもうくすぐったがらなくて、体温の逃げた肌、顎の頂点は刃のように恐ろしく冷たいのだ。

 想像の中、私の指先は君の顔の正中線をなぞる。上から順に。狭い眉間は西洋人みたいに落ち窪み、鼻梁は皮膚のすぐ下の骨の凸凹を忠実に反映し、武骨な起伏を見せている。そして、鼻の下の凹みを指の腹を密着させながら器用になぞって……その下の薄い唇、私の好きな、肌の色と殆ど変わらない、薄づきの赤が一匙溶かし込まれただけのような唇、でもそのうちきっと死んだ血でどす黒く曇ってしまうだろう唇。生真面目に閉じられ、口の端は上がりも下がりもしないで、正しい位置におさまっている。私はたまらなくなり手を伸ばして、唇に触れようとする……。

 その刹那に私は自分の心に仮面を被す。私は君の突然の死を聞きつけこの部屋に駆けつけた女子高生。まだ君が死ぬなんて、というか人が突然死ぬなんて事実を理解していなくて、息切らす自分の鼓動をおさめてこの霊安室の厳粛さに順応することが出来ない。そして彼女は怯えながら、この指先で、死というものを確かめにいくのだ。

 唇に指先が触れた。グミみたいなその感触は私を愉しませた。私は本当に君が死んだらどう思うのだろう。段ボールに、ボウリングの球くらい重いものを入れてえいや、と持ち上げたら底がずぼっと破けて腕は急に軽くなった、時のような喪失感が浮かんでくる。考えるだけで愕然とするのだから本当の死とはなんて恐ろしいんだろう、でも偽物の死は……、私に陶酔をもたらす。私は正中線をなぞる指を現実のものにする。慈しみと好奇心がするすると指を滑らす、たまらなくなって私は立ち上がり、ベッドの端に座る。制服の紺スカートのひだが、白い布団の上にアトランダムに散る。いつもはなるたけ短くしてその下で跳ね回る脚を隠さずにいる、露骨に下品な日常品、でも今だけは、非力さと清楚をまとった少女の印なのだ。だから白い布団の上に散るプリーツは、悲哀の象徴。寝具の白、にその紺色の重なりは、本来は、ちょっと飽きてきたいつものあれを条件反射で連想させ、私は少しだけげんなりするのだけれど、今日は違う。眼下に広がるその光景にナルシシズムを感じながら君ににじり寄る。君の死を受容するために。

 頬に触れてみる。ぴた、と吸いつく音がした気がする。それほど、私の手の平と君の頬が密にくっつく。でもそれは君の頬ではなく私の肌の水分がそうさせたのだろう。君はマットでシャープだ。こけた頬のわずかな凹みを、私の手の平のふくらみで、寸分の隙も無く埋めてしまいたい。君の両頬を両手で包む。君の顔、君の思想、君の生死、全てがすっぽり私の手中、挟み込んだ私の圧力に、君は全くもって無抵抗なのだと思うと、愛おしさがくらくらするほど襲ってきて、私は君の上に墜落する。私は君にキスをする。乾いた、表面と表面の接するだけのキスを。生と死の間を行き来できないみたいに、君と私の唇の間も、液体は行き来できないんだよ。私はゆっくりと布団をはがして君の上半身が見えるようにした。白シャツからのぞく鎖骨に狙いを定め、ひっそりと、シャツと肌の間に、指を忍び込ませていく。骨の上をなぞると一瞬君がぴく、として、直後自分のミスに慌てたのか息まで止めて全身を異様に固くした。先生に叱られる、と思って怯えた子供みたいで、私はくすりとしてしまう。それくらいじゃお咎めはしないよ。

 私は白いシャツのボタンを上から一つ一つ外す。三つ外したらシャツの内側に手を差し入れ、手の平全部で君の体温をべったりと味わう。恋人の死を受け入れられぬ少女が霊安室でとった行為は大胆でも無節操でもない、ただ無知と無邪気と、愛の絶対量とがなせる技。近いうち無くなってしまうこの熱を、忘れぬよう、惜しむよう、まんべんなく自分の手の平で吸い尽くしてしまおうとしているのだ。君の肌の色は私より少し黒い。そして私より少し水分が少なくて、少しきめが粗く、少し弾力が少ない。でも肌に保った熱量は私よりずっと多い。全てのパーツが私より雑に造られている、この荒っぽいエネルギーの塊に、いつも私はベッドの上で御されてしまうのだ。本当は、私、これだけでいいのに。表面から得られるものだけで何も構わないのに。粘膜とか襞の内とか知りたくないんだよ。乾いた肌、数えるほどしか生えてないひげがたまに、ぴん、と私の指を刺す、それくらいの痛みだけで充分なのだ。血も精液も無ければいい、でも君はそれじゃ許さない。片足踏み越え、私は君に跨っていた。自分の上半身を君の上半身にべったりつける。でも自分の身体の凸凹と君の身体の凸凹があるから、身体をもぞもぞさせてどうこう位置を変えても、絶対に、ぴったりなんてくっつかない。苛立って圧力を加えても、うまくいかない。はあ。なんで人間てこんな凸凹してるんだろう。自分と君がそれぞれ、紙みたいな皮一枚だったらいいのに。そしたら真にぴったりと、一mmの隙間もなく、くっつけるのに。

 そうやってしばらくじっとしてた。

 ……  やがて、私の腹の下の君の腹が膨らんだりへこんだりするのが早くなるのを感じる。なんだか死体っぽくなくなってきた。どうにかしてほしそうな下の君を感じる、でも私は……。さて、どうにかした方がいいんだろうか? 私は、どうにもしたくないのに。結局私は君の期待を無視する。切実なほどこの時を愛す。私は全身の力を抜き体重を君にあずけた。

 そうしたら、私のスカートの下で、君の凸凹が更にひとつ増えたことに気付いた。私は君の無礼さに幻滅した。死体のくせに! 甘い芝居を台無しにした君から上半身をひっぺがして、後ずさりする。と、おもしの消えた君はむっくり起き上がって私に近付く。動かないでよ。私が、臭いものをかいだ時みたいな嫌悪を顔いっぱいに込めて言うと、

「もう耐えられないよ、じっとしてるのは」

 そして私を優しく押し倒すのだ。力は強くなくても、強固な意志で満たされた君の頑丈な身体は、私を圧倒する。甘い失望に占領されながら、勝てる気がしないのでもう諦める。病室はいつもの卑猥な君の部屋に、制服のスカートはめくられるためのものに。白いシーツは乱れ、嘘はただの嘘に落ちる。

2008年 / 3,304字(9枚)

Novelsへ戻る